ももの日記

ACから一筋の光

過剰な恐怖感

今日も思ったことをつらつらと書いていこうと思います。

 

まず、最近始めたアルバイトのこと。

 

私はこれまで、「仕事」に行くことが怖くてできませんでした。

どんな恐怖感かといいますと、「誰も助けてくれない」「馬鹿にされる」「怒鳴られる」こういう思いになって、仕事に行けないのです。

私にしかわからない感情なのだろうけれど、それはそれは大きく私にのしかかってきます。逃れられない恐怖感で、本当につらいものでした。

次の日仕事があると考えただけで、恐怖感で休まりません。

眠れない日もしょっちゅう。

ストレス発散という名目で、買い物依存、カフェ依存状態でお金を使ってばかりいました。人間関係にリラックスできないので、社員の方との会話も苦痛でした。

働いていた頃の休日は休めたためしがありません。

いつも頭の片隅に「仕事」「会社」があり、緊張感でたまらないのです。

西遊記の主人公の頭にかかっている縄(?)みたいな。

逃れられない恐さ。緊張感。苦しみ。

人が怖いのです。

仕事だと思うと緊張して、今を生きられなくなってしまいます。

 

頭ではそんなこと起こらないと分かっているものの、現実から飛躍した過剰な恐怖感が私を苦しめてきます。

 

新卒で入った会社は半年で辞め、次の2社目も直ぐに退職しました。

頭がおかしかったのだと思います。

 

すべては幼少期に見てきた両親の夫婦喧嘩。

そこで感じた見捨てられ不安、過剰な恐怖感や緊張感と繋がるのだと思います。

 

こんな私が最近、仕事に行けるようになったのです。

すべては精神科の薬のお陰ですが、本当に楽に過ごせるようになりました。

 

恐怖感や、孤独感、疎外感は無くなり、普通に仕事へ行けるようになりました。

何とかなるだろう、と思えるようになりました。

過剰な恐怖感は消え去っています。

 

この生きやすさの嬉しさったらもう。。。

こんなに楽に生きられるようになるなら、

もっと早くから精神科に通っておけばよかった。。。!

 

明日もバイトですが、こうしてゆっくりとコーヒーを飲みながら

ブログを書いています。。嬉しい!

 

精神科の薬と出会えて、人生が変わった分、

これまでの苦しみが本当に無駄だったように感じるようになって

新たに悩みも増えました。

「あんな思い、する必要なかったんじゃないか」

「あんなに苦しむ必要、なかったんじゃないか」

「もっと良い環境で生きてこれたんじゃないか」

 

そう思うことが増えました。

 

もったいないなあ、全部。

あの苦しみは必要なものだったと思える元ACの方もいるだろうし、

私のようなタイプもいる。

捉え方に正解は無いので、前者のような捉え方ができれば納得感もあって幸せだろうけど、いかんせん私はそんなふうに感じることはまだできません。

「まだ」とあえて言わせていただきました。

これからそうなればいいなという期待と希望を込めて。

 

では、また更新します。

明日もバイトだ。頑張るぞ。

 

 

 

ACと克服

今日は曇天で気温も低く、なんだか1日中眠い。

 

ブログを始めたきっかけは自分の経験が、誰かの力になればいいと思ったから。

 

でも、その意気込みはあればあるほどプレッシャーになっていくことも自覚していました。

 

簡単に書けて尚且つ誰かの力になることは果たして両立できるのか。。

ブログ初心者なので、未だに書くことに慣れません。

自分の言葉が客観的にどう捉えられているかもわからない状態。。

 

今日は肩肘張らず、気ままに書こうと思います。

 

生きづらいって何だろう。

これは私がこれまで経験済みのことで。

言葉にするのは何だかまだ勿体ないような、感じたことと私が出来る表現が一致していないな。。。

 

では、その逆(生きづらくない)って何だろう。

 

そういう人はそもそもこういうことと向き合わないんだろうなあ。

 

例えば、毒親育ちで自分の感情の波を起こすトリガーになる親の存在。

 

この存在に一喜一憂しないというか、揺さぶられないこと?

平静のときに、何かが起こっても動じない心?

 

どんな人にも嫌なことは起こるだろうけど、時間の経過とともに「まあいいや」と思える心は間違いなく、「生きやすい」だろうな。

 

人目を気にしたり、顔色伺ったり、被害妄想したり、

ドキドキ、ソワソワ、ザワザワ、、、

自分に自信がない、自分のことが嫌い、孤独感、不安感、不満感、義務感、劣等感、、

 

もちろん全部私が経験した感情です。

中でも、私の中心は劣等感でした、、。これがめちゃくちゃきつかった。

(幼少期で育まれて行く人間の頭の中って、

神経伝達物質的なのって、いったいどうなっているんでしょうね。。)

 

同じような時間を送っているように見えて、ACとそうでない人達って、人生の中身が全く違うんですよね。

ACはほんとうに形骸化している。。

本心からの選択ではなく、他人軸で異常な緊張感から負わされたチョイスになっていくので、その経験の渦中は雪だるま式にマイナス感情が大きくなっていくのですよね。

病気が病気を呼ぶし。。。

 

ACの捉え方は自分を追い込ませ、世界の捉え方の根っこをこれでもかと苦難と憎悪にさせますよね。

 

私が考える生きやすいって、「人との繋がりを信じられている人」だと感じています。

 

― 人は私を受け入れている

 

この感じ方になった時、私はようやく正常な世界の循環の内側に居られていると思えました。

別にそう捉えられるように訓練したわけでもないし、ノートに自分の本音を書き連ねたりしたわけではない。

いわゆるACの克服法を片っ端から行ったわけではありません。

 

精神科の薬でこの感覚を取り戻すことが出来ました。

 

生きやすいって、人を信じられることなのだなと思うようになりました。

こんなこと言っても許してくれるだろう、という信頼感と安心感。

この変化、全くドラマチックではなく、これまでの昨日と地続き。

ただこれまで慣れ親しんだACの感覚はなんだったんだろう、と思えるような、

苦労が嘘のように感じるような、、そういう類の感覚です。

 

この感覚が取りもどせた今、私はやっと1人の女性として立てた気がします。

好きだと思っていたもの、こうじゃなきゃいけないと感じていたものに違和感を感じて、眠っていた実は研ぎ澄まされていた感覚が私の本心を拾い上げてくれるようになりました。

やっと心の声が聞こえるようになった。

「本当の本当は違う気がする」という違和感があったのにそれを無視して。

愛されてないと感じて依存して、自分の本当の気持ちで生きることができなかったからいつも喉に引っかかりを感じていました。つらかったなあ。

 

本当に、できないんだよ。

自分の本心で生きることが。

 

人に安心感を覚えてから、明日が怖くなくなりました。

これまで一段高いところに居た他人が、自分と同じ高さにいると感じてから「困ったら助けを求める力が私にもある」という自己効力感のようなものも同時に取り戻せるようになったから。

 

芋づる式のように、以前よりずっと生きやすさを達成するための様々な術、感覚が身につきました。

 

私が言えることは、自分を殺しにかかってくるような苦しみから語れば、その対極にあるのが生きやすさなのかなと思うんですよ。

言葉にするのむずかしいな。

ACを少し克服してから、改めてそれについてのコンテンツを見ても、どれもがしっくりくるようで来ない感じがある。

 

また改めて言葉にしてみよう。

思ったことをつらつらと書いてみました。

 

はじまり

はじまり

 

数々の淡い記憶を繋ぎ合わせて、哀しみと思慕に溢れた思いを

言葉にしていきたいと思います。

 

都内のどこにでもいるような一般家庭の長女として生まれました。

実情は酒乱でモラハラの父、犠牲心が強く、自信のない母の元。

父は愛人の子として生まれた非嫡出子でした。

生きづらさに生きづらさを重ねた未熟な親と、その娘です。

 

私が生まれてから早速生きづらさのような症状を呈したのは

2歳半でやっと歩けるようになったこと。

 

父は典型的なアダルトチルドレンで、地雷を踏めばひどく怒鳴り散らす男。

そんなのと一緒になった母も女としてきっと未熟者でした。

 

何となく記憶に残っているのは、父が母に怒鳴り、私が泣きじゃくっている場面。

 

のちに詳しく書いていくことになると思いますが、夫婦喧嘩が、特に父が母に怒鳴る場面は私にとって身を切り裂かれるほど辛く、耐えがたいものでした。

 

生まれた時から夫婦喧嘩が絶えなかった(正確にいうと、父が一方的に因縁をかけ、怒鳴っていた)中で育ったせいか、私は発達の遅れのような症状が出ていました。

シャフリングベビーで、ハイハイが無かったそうです。

 

何となくですが、赤子なりに夫婦の在りようを感じ取って、ストレスを抱えていたのだろうと思います。

今振り返ればもうこの時点で、私の不幸の人生ははじまっていたのだと確信できます。

 

「さあはじまりました!不幸な人生!!」

哀しさと喪失が待つ、私の人生の合図のように思います。

 

ただ、骨の髄まで毒親で機能不全だったかというとそうでもなく。

父は父なりに、母は母なりに、頑張ってくれていたのだと思います。

行きたいところ、欲しい物は叶えてくれたし、

父の面白さに家族で腹を抱えて笑ったこともあった。

お父さんになら、お母さんになら、安心して話せたこともあった。

 

そういう思いも経験しながら、その心も育んできました。

 

親は自らの生きづらさと向き合って、努力しているようだった。

ただ、その歩みは私の成長段階にはとてもじゃないけど追いついてこなかった。

 

物心がつき始めた時から、私は夫婦喧嘩を見るたびに

 

-「私が悪いんだ」

 

-「私なんか死んじゃえ」

 

こういう思いを抱えるようになっていきました。

 

 

 

初めての投稿~私の人生~

初めての投稿

 

2023年の終わり。

私はようやく、暗くて混乱した人生から一筋の光が見え始めた。

 

やっと。ようやく。やっと。

ここまで来た。

 

狂ったコンパスを持ったまま生き、混沌とした生活から

本来持ち合わせた心の声で生きられそうな

そんな兆しが見え始めた。

 

傷つけられたあの人、この人、

傷つけたあの人、その人、

支えてくれた隣の人、

ありがとう。

 

私の経験が、同じような苦しみを持った誰かの力になれたら。

 

そう思ってブログを始めます。

 

誰かの力になれますように。

誰かの明日の安心になりますように。

 

私が息もできないほど辛かったあの日々で

縋るようにのぞいたあのネット記事、ブログになれたら。

 

私が過ごした日々をここに綴っていきます。