はじまり
はじまり
数々の淡い記憶を繋ぎ合わせて、哀しみと思慕に溢れた思いを
言葉にしていきたいと思います。
都内のどこにでもいるような一般家庭の長女として生まれました。
実情は酒乱でモラハラの父、犠牲心が強く、自信のない母の元。
父は愛人の子として生まれた非嫡出子でした。
生きづらさに生きづらさを重ねた未熟な親と、その娘です。
私が生まれてから早速生きづらさのような症状を呈したのは
2歳半でやっと歩けるようになったこと。
父は典型的なアダルトチルドレンで、地雷を踏めばひどく怒鳴り散らす男。
そんなのと一緒になった母も女としてきっと未熟者でした。
何となく記憶に残っているのは、父が母に怒鳴り、私が泣きじゃくっている場面。
のちに詳しく書いていくことになると思いますが、夫婦喧嘩が、特に父が母に怒鳴る場面は私にとって身を切り裂かれるほど辛く、耐えがたいものでした。
生まれた時から夫婦喧嘩が絶えなかった(正確にいうと、父が一方的に因縁をかけ、怒鳴っていた)中で育ったせいか、私は発達の遅れのような症状が出ていました。
シャフリングベビーで、ハイハイが無かったそうです。
何となくですが、赤子なりに夫婦の在りようを感じ取って、ストレスを抱えていたのだろうと思います。
今振り返ればもうこの時点で、私の不幸の人生ははじまっていたのだと確信できます。
「さあはじまりました!不幸な人生!!」
哀しさと喪失が待つ、私の人生の合図のように思います。
ただ、骨の髄まで毒親で機能不全だったかというとそうでもなく。
父は父なりに、母は母なりに、頑張ってくれていたのだと思います。
行きたいところ、欲しい物は叶えてくれたし、
父の面白さに家族で腹を抱えて笑ったこともあった。
お父さんになら、お母さんになら、安心して話せたこともあった。
そういう思いも経験しながら、その心も育んできました。
親は自らの生きづらさと向き合って、努力しているようだった。
ただ、その歩みは私の成長段階にはとてもじゃないけど追いついてこなかった。
物心がつき始めた時から、私は夫婦喧嘩を見るたびに
-「私が悪いんだ」
-「私なんか死んじゃえ」
こういう思いを抱えるようになっていきました。